アレグロ・エネルジコ マ・ノン・トロッポ

大好きなショスタコーヴィチ先生やマーラー監督の音楽をめぐっての考察(妄想とも言います)や、
出かけたコンサートの感想などを中心にして好きなものごとについて綴っております。

May 2008

昨日はたいして具合が悪くなかったので、今回のレミケードの副作用期間はもう終ったのかと思っていたら、なんのことはなく、今日はあまり元気ではありません。

腰痛がひどく、おまけに膝や足首も浮腫んで痛いので、階段の上り下りがきついです。

こういう情況になると、猛烈にマンションに引っ越したくなります。

鬱々となっていてもいけないので、何とか気分転換をと思って向った先が、鏡です。

基本的には外出の予定があってもなくてもどんな時でも化粧はしています。

うつ病のときは外見のことが気にならなくなり、身づくろいに興味がなくなったので、化粧をしないと夫が「うつ病の兆しか!?」と心配するということも化粧をする理由のひとつなのですが、化粧をしないと、こう、なんと言うかモードが切り替わらないんですよね。

身体の中や心が元気ではないときには、化粧をするという行為そのものが億劫に感じられることも確かです。
そこを何とか踏ん張ってベースを作り、色をのせていくと、あら、不思議。
なんだか楽しくなってくるんです。
ファンデーションの色味を普段より少し明るくしたり、チークを濃い目にしたり、アイシャドーをパープル系にしてみたり、マスカラを重ね塗りしたり……できあがったころには爽やかな気分。
内面が元気になればそれが外見に反映されるというのはよく聞くことですが、逆もまた真なりです。
外見が内面をいい意味で欺くというわけです。
腹がたったらわざと口角を上げる……みたいなものですよ。
ちょっと違うか……。

わたしを元気にしてくれるお気に入りのブランドと化粧品たちを列挙します。
★ヘレナ・ルビンスタイン
 プロディジー・ファンデーションは年中愛用。スキンケアするファンデーションです。
 ライフ・パールを最近使い始めましたが、優れもの感いっぱい!
★フェリーチェ・トワコ・コスメ
 美のカリスマ十和子さんが開発に携わっているだけあって、シンプルなラインながらトータルで使うと肌の質が変わってくるような気がします。
★オード・ファブール
 このエッセンス・ド・ボーテは、お助けコスメNo,1
★ヌーディ・モア
 ザ・ルースパウダーとザ・コンシーラーは手放せない。
 嶋田真理子さんのご主人である嶋田ちあきさんプロデュースのラインです。

十和子さんと真理子さんって相容れない感じですが、わたしはお二人とも大好き! 美のお手本です。

特に嶋田真理子さんは23歳で「原田病」という難病をわずらい、その副作用でしばらく寝たきりだったようです。
目も見えなくなりひとりでは何もできなかったとか。ずっと体調はすぐれず37歳までネガティブな毎日を過ごしていたのです。
元気になられたきっかけは、ご主人の嶋田ちあきさんの極限に達した疲労でした。
命の危機まで感じたそうです。
それで「何とか健康を取り戻さなければ!」ということで、生活様式や食生活をすべて見直して、身体にいいことを取り入れるようになったら今のような元気な姿に戻ることができたそうです。
この夫婦愛もいいですねぇ。
「辛くしんどい時期を乗り越えた後って、人間は美しくなれるんだわぁ〜、わたしも頑張ろう」
と、単純なわたしは感動するわけです。

数年前、お二人のトークショーに出かけたのですが、本当に真理子さんはチャーミングで、内面外面ともに美しい素敵な方でした。

表紙の真理子さんが可愛い2冊の本をご紹介。
いずれも「お料理の本」です。
食べることに関して興味はないのですが、作るのは好きなんですよ。


 先日、高関健指揮、群馬交響楽団によるマーラーの交響曲第7番のCDの重要性について述べたが、このコンビによるマーラーの交響曲のCDは先に第2番と第9番が出されている。
 これら2枚もそれぞれに独自の価値を有したものなので、そのことについて簡単に触れておきたい。
 
 どちらもすでに出版されているスコアをただそのまま演奏したというものではなくて、徹底的な校訂作業を経たのちに取りくまれた演奏であるという点では第7番と同じように見えるが、第7番の場合とはどちらの曲も事情がかなり大きく違っている。

 録音順とは逆になるが、まず、第2番について。

 この曲の場合、すでにギルバート・キャプランの尽力があって、自筆譜、初版譜、マーラーが最後まで手許に持っていて、次に改訂版を出す時のためにいろいろ死の前年まで書き込んだ初版譜という非常に重要な資料を中心とした著しく膨大な資料に基づいて、国際マーラー協会の全集の新版の準備が進んでいた。
 この曲をマーラーは10回ほど指揮しているので、そのつどパート譜に書き込ませたりしたことなどもかなりの量が確認できるようではあるが、それらも含めて手許に持っていたものに自分の最終的な意思をほぼ集約していたと考えられる。
 そのため手許に持っていた初版譜への書き込みというものが、最も重要視され、国際マーラー協会の新版はその資料を重視して改訂されている。
 という形で出版準備がすすめられていた新版を基にしてさらに高関健は自分自身でもう一度自筆譜ファクシミリと初版などを1970年版の全集版につきあわせて自分が演奏するための新たな版としたのである。

 次に第9番について。

 この曲の場合は、生前には出版されていなかったしよく知られているようにマーラー自身が指揮することもなかったので、第8番までの曲にあるような問題は全くない。
 しかし、そうであるからこそ、自筆譜そのものに矛盾するところや不明瞭なところなどがあるし、また、出版されたものにも誤植などがかなりある。
 そういうところのある曲なので、指揮をする人は誰でも多かれ少なかれ、自分で判断しなければいけないところが多々ある。
 そして、ここでも高関健は自筆譜ファクシミリと第8番以前の作品の場合の改訂を参考にして自分独自の版を用意して演奏に臨んでいるのである。

 以上のように、第2番と第9番の問題はかなり大きな隔たりがあるのだが、いずれにしても演奏する以前に高関健は大変な労力を費やしてこれらの演奏を成し遂げている。

 そして、その労は十分に報われていると思う。
 スコアに対しての誠実で徹底的な研究姿勢があって、はじめて成し得た演奏だと思う。
 濃密だけれども明晰さを失うことがなく、壮大なところは十分に壮大に盛り上がる名演になっている。
 マーラー自身による各種の書き込みや修正というものが、基本的にはより明晰な響きを得ることを目指してのものなので、それらを深く検討し、生かすことで演奏の彫りが深くなるのは一種の必然であるとも言えるのだが。
 

7回目のレミケードを受けてきました。

つい先ほど帰ってきました。頭痛くてしんどいです。

去年の9月に始めたレミケードも早いものでもう7回目です。

まずは採血。

結果が出るまで、病院内の郵便局で振込みをしたり売店で水を買ったり、本を読んだりして診察時間を待ちます。

採血の結果。
CRP   0.05
WBC   8.3
HGB   13.6
TP    7.5
ALB   4.5
赤沈(1時間) 4
いつものように先生に「検査結果だけでうんぬん言うのはよくないけど、いい血だねぇ」と、褒められました。

ということで、処置室へ。

リクライニングチェアに座りいろいろ測定。
血圧:80−140 低血圧なのですが、なぜかレミケード前に計るといつも高いのです。
酸素:97%
体温:36.7
レミケードを準備している間にエレンタール作り。フレーバーはもちろん、フルーツトマト美味しいよん

注射担当の先生がやってきて、血管探し。
本日は、手首から5センチくらい上の側面の血管。なんと1回で入りました。

いつもは
「何かあったらすぐに呼んでくださいね」
と、おっしゃるだけの看護師さんですが、今日の人はとても丁寧で
「7回目ですか。今まで何ともなくても突然アレルギーが出ることがありますから、動悸、息切れ、じんましん、その他、何かいつもと違うことがあったら、すぐに言ってくださいね」
と。
ひょっとしてアナフィラキシー・ショックというやつですか
そう言われると、何か、ドキドキして、おまけにくらくらっとしてきました。
「気のせい、気のせい」と思っていたらおさまっていきましたが、30分おきくらいにドキドキがやってきました。私って暗示に弱いのか?
主治医の先生は、一旦中止したレミケードを再開すると、まれにアレルギー反応がでることもある、とおっしゃっていたのですが、連続使用でも出るんでしょうか? ちょっと心配。

2時間後、無事に終了。
でも、軽く発熱してました。
血圧:70−100
酸素:97%
体温:37.2

いつもそうなのですが、レミケード終了間際から、いろいろと副作用が現れます。
まず、頭痛。それから発熱。
家に帰ってしばらくすると口渇感や全身倦怠感が現れ、関節が痛くなります。
当日と翌日が一番しんどい。何もやりたくない感じです。
その状態が5日ぐらい続き、しだいに収束に向います。

特定疾患継続申請用の診断書を受取り、会計をして病院を出ました。

しんどいのならすぐに帰ればいいものを、主婦のさがと申しましょうか、病院近くの大型スーパーに寄って、りんごとヨーグルトと蜂蜜とシナモンシュガーとレトルトカレー(夫用ですよ!)、キッチン用アルコール、スポンジと美味しそうなパンを買ってバスで帰りました。

今、かなり頭痛くて舌がびりびり、喉もすごく渇いた感じがしてます。
腰痛も始まりつつあります。
ちょっと気持も悪いし……ううう。
熱も下がってないし……はぁ。
明日はもっとしんどいのかなぁ。嫌だなぁ。
何か憂鬱だけど仕方ないですねぇ。
朱川湊人さんの『スメラギの国』の続き読んで早く寝ることにしよう。


本日のレミケードの友

高関健さんが群馬交響楽団を指揮したマーラーは、演奏の質以前に他のCDとは次元が違った価値があると夫は言っていますが、演奏そのものも非常に充実していて何回聴いても感動します。
第9番も好きです。
近々、夫がまた何か書くと思います。



はじめて使ったときは気がつきませんでしたが、
というか、カチンとくることがあって、そちらに気が行って
いたのだと思いますが、今日、黒いほうのフェリーチェトワコUV手袋を
はめてお出かけしようと思ったら、

「あら、暑いわ!」

このすてきな手袋、素材は夏物という感じで、通気性はありそうだし、シャリっとした感触なのですが、とてもしっかりとした作りになっているため、はめると、何というか手がちょっと暑いのです。

春や秋にはめるのにはちょうどいいし、冷房の効いた車の中で使用するのにはうってつけだと思うのですが、真夏の陽射しの中、この手袋はちょっと苦しいかもと思ってしまったわけです(特に黒は熱を吸収するし)。

美を追求する者が、そんなことで文句を言ってはいけない。
デザイン的には、もうこれ以上の品はないでしょうというくらい素敵なので、ちょっと暑いからと言ってはめない理由にはなりませんね。
機能的であればいいというのは心が豊かじゃないいし。

そこで、フェリーチェ・トワコさんにお願い
来シーズンは、同じデザインで内側にくる部分がメッシュ素材のような手袋をぜひ




グスタフ・マーラー:交響曲第7番
高関健 指揮
群馬交響楽団

 「アルマの呪縛」というタイトルで何回か書いてきて、まだ中途半端なところまでしかきていないのでその続きを早く書かなければと思っているし、5月18日にシシーさんからいただいたご質問に対してのお答えも詳しく書きたいと思っているのだが、それよりも今日は一刻も早く書きたいことができたので、そちらを優先することにする。

 高関健指揮、群馬交響楽団のマーラーの第7番のCDについて、その意義の最も本質的なところを理解していない少々不愉快な批評を目にしたので、どうしてもひとこと言っておかなければいけないと思うのである。

 このCDの意義を理解するためには、先にマーラーのこの交響曲のスコアが抱えている問題について十分に理解しておかないといけない。この交響曲の場合、国際マーラー協会が出しているスコアを単にそのまま音にすればいいというものではないのである。そういう事情は何もこの曲に限ったことではないのだが、この曲の場合桁違いに問題が多いのである。

 桁違いに問題が多い原因ついて、簡単に述べておこう。

 一つ目は、まずこの曲の成立事情そのものに起因する。
 基本的にマーラーという人は、交響曲を作曲する場合、それがどんなに巨大なものであっても、1小節目から終わりの小節へ向けて作っていく人であった。楽章ごとで言うなら、第1楽章、第2楽章・・・という具合に書いていったのである。
 また、前の曲が出来上がってから次の曲に移った。
 これらの点で、第7番は実はきわめて特殊な成立事情を有している。
 つまり、前の曲である第6番の作曲中にすでに中間楽章の作曲に取り掛かっていることと、そのように中間楽章が先にできているのに、肝心の第1楽章については着想すらなかなかできなかったのである(これらの成立事情の問題に関してはフローロスの『マーラー 交響曲のすべて』の、P239の訳注およびその前後の本文と、その訳注に示されているラ・グランジュの書物を参照されたい)。
 このような特殊な成立事情があるので、他の曲に比べて自筆譜の段階ですでにいろいろと難しい問題が発生してくるのである。

 二つ目の問題は、マーラー自身がこの曲を指揮した回数に起因する。
 5回指揮している。
 具体的には1908年9月19日プラハ初演、同年10月27日ミュンヘン、'09年10月2日ハーグ、3日と7日にアムステルダムでそれぞれ指揮している。
 他の曲の場合、はるかに多い回数指揮しているか、逆に2回(第8番)とか3回(第6番)という極めて少ない回数しか指揮していないかのどちらかである。
 回数が多い曲の場合は、スコアへの書き込みや楽団員への指示がある程度淘汰されているし、逆に少ない場合はそれらの絶対量が少ない。
 しかし第7番の場合は、多くも少なくもない絶妙な回数なので、演奏ごとの指示などを批判版のスコアにどのように取り入れるかという点で、きわめて大きな困難が生じるのである。

 以上のような問題があるので、真剣にかつ良心的にこの曲と取り組もうと考えるのならば、すでに出版されてから半世紀近くが経った協会版スコアをそのまま使って満足してはいられないだろう。

 また、実際上記のような問題があるので、この第7番に関しては、自筆譜のファクシミリが出版されたりしているのである。

 さて、そこで高関健である。

 群馬交響楽団とこの曲を演奏するのに際して、彼は、現在参照可能な資料にあたるのはもちろん当然のこと、直接国際マーラー協会のクビーク博士らと連絡をとることで、徹底的な検討を加え独自の演奏版を用意したのである。これが大変な作業であったことは想像に余りあることで、頭の下がる思いがする。

 この独自の版に基づいて今回CDになったこの演奏は行なわれた。

 演奏の質についてどうこう言う以前に、まず、世界でも稀に見る重要な存在意義をこのCDは持っているのである。

 その上演奏もなかなかのものである。CDとして数ある個性的な名演と比べると、際立った個性を主張しているとは言い難いけれど、この曲がもともと持っている魅力を非常にストレートに過不足なく表現することに成功している。
 最終楽章に向けて的確に音楽が進んでいき、最後は壮大に盛り上がって大団円を迎える。 拍手が早いのが少々残念だが、その場にいて感動を共有した人たちの気持を考えると、まあ、わからないでもない。

 というわけなので、「……あえて世に問う意味があるのだろうか。」などという批判はなされるべきではないだろう。
 このCDはマーラーに興味のある人は皆持っていなければならないものであると私は思う。

参考文献
  

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