アレグロ・エネルジコ マ・ノン・トロッポ

大好きなショスタコーヴィチ先生やマーラー監督の音楽をめぐっての考察(妄想とも言います)や、
出かけたコンサートの感想などを中心にして好きなものごとについて綴っております。

November 2008

いつもお邪魔しているアルチーナさまのブログの記事で教えていただきました!

ショスタコーヴィチ先生の『明るい小川』の東京公演!

ロシア国立ボリショイ・バレエ『明るい小川』←公演詳細
stage8179_1


琵琶湖ホールでの公演はすでに終わり、このあとは東京でしか公演がないみたいなんです。
朝この記事を知った時は、
「残念だなぁ・・・」
だったのですが、行きたくなってきた…。
なかなか観られるものではないと思うのですよね。
でも、やはり東京は遠いし、お小遣いもなくなってしまったし……。
名古屋でいつかやってくれることを望むしかないのかな。

さらに月刊クラシック音楽探偵事務所このサイトについても教えていただきました。
作曲家の吉松隆さんとおっしゃる方が運営しているサイトで、今月の記事が「音楽の荒唐無稽とウソ〜ショスタコーヴィチ『明るい小川』をめぐって」なんです。

まだしっかり読んでいないのですが、交響曲第13番には『バビ・ヤール』と、交響曲第14番には『死者の歌』と副題を付けていたりします。
作曲家でも、というか、この人クラシック音楽の入門書を何冊か書いていると思うのですが、そういう人でも「ついつい」書いてしまうんでしょうか。
副題付の入門書を読んだ人は何の疑いもなく「そうなのである」と思ってしまいますよね。
第5番についてはさすがに『革命』と書いてなかったけど。。。
とにかく、このような立場の人は特にしっかりと勉強をした上で注意をはらって書いて欲しいと切望いたします。
日本における「クラシックの死」問題はことほどさように根が深いのか。

工藤庸介さんの本にも
…ちなみに、「死者の歌」という副題はショスタコーヴィチ自身によるものではない。バルシャイによる録音の国内盤解説の中で、ウサミ・ナオキ氏が自分の考察と責任で名付けたと記してある。 (『ショスタコーヴィチ全作品解読』p.79)
と書いてあります。

(追記)
実物(日本ビクター株式会社発売のSMK7618)でも確認しました。
そこの歌詞訳者ノートにウサミ・ナオキ氏は
副題を「死者の歌」としたのは以上のようなわけからで、その責任はわたしにある。
と書いています。




今週は朝食のときにパーセルの室内楽曲を聞いているのですが、時々タコ先生が聞こえるのです。

トリオ・ソナタの第9番とか、弦楽器のためのファンタジアの数曲で。。。

ショスタコーヴィチ先生ブリテンパーセルの関係を考えると、タコ先生がパーセルを聞いていてもおかしくないと思うのですが、工藤さんや千葉さんやファーイさんの本にはパーセルって出てこないのよね……。

Mahlerianは
「そうかなぁ…う〜ん」
と言ってるし、やはりわたしの空耳なのか?
もしくは幻聴。。。

う〜むむむ。
もう一度しっかりと聞いてみよう。

などと思いながら、NHK杯フィギュア「女子ショートプログラム」を見てしまいました。
フィギュア・スケート好きなんですよ。
子供のころは、スピードスケートで北海道内2位だった(と本人が言っていました)らしい父にフィギュア・スケートは仕込まれたんです。。。
白いスケートシューズも持っていましたよ♪
同じリンクで伊藤みどりさんがくるりくるりと滑っていました。。。

でも、運動神経がほとんどないわたしは小学校4年生ぐらいのときにあっさり断念。

ということもあって、今でも見るのは大好きなんです。
そうしたら、なんと中野友加里選手がショート・プログラムで選んだ曲がタコ先生の映画音楽『馬あぶ』から「ロマンス」でした!
表現しようとしている世界は「純愛」!!

結果は5位だったんだけど、明日のフリーで頑張ってもらいたいものです♪

今日11月28日は、ショスタコーヴィチの『ジャズ・オーケストラのための第2組曲』が初演された日です。
1938年のことですから、今日はちょうど70年目にあたります。

ショスタコーヴィチというと、それだけで眉をひそめたりする方も多いのではないかと思うのですが、そんな人にこそ、この曲を聴いて欲しいと思うんです。

クラシックを聞かない人にも、
大正ロマンが好きな人にも、
ジャズが好きな人にも、
ベルとにかく一人でも多くの人に聴いてほしいベル
ショスタコーヴィチ:ジャズ音楽集


哀愁を含んだメロディ、甘く切ないメロディがちりばめられたこの曲を聴くと、
この世に辛いことや悲しいことなどがあるなんて知らなかった無垢な時代が思い出され、懐かしい思いで胸がしめつけられそうになります。
目頭が熱くなって、涙を抑えると鼻の奥がつんとします。

目を閉じると、
ちょっとうらぶれたレトロなダンス・ホールで
着飾った淑女と紳士が
何となく物憂げに踊っている様子が見えてきます。
ラブラブそんな曲ラブラブ
ちなみにこの『ジャズとオーケストラのための第2組曲』の第7曲の「第2ワルツ」は、スタンリー・キューブリック監督の遺作『アイズ・ワイド・シャット』の冒頭部分で、とても印象的に使われていますね。ニコール・キッドマンがパーティに出かける準備をしている、あの場面で流れていた曲です。
アイズ ワイド シャット


秋の終わりの一日を
ショスタコーヴィチのワルツを聴いて過ごす
わたしにとっては
至福のとき
音譜

すごくわかりにくいタイトルなんですが……
ヘミングウェイの話でもプッチーニの話でもありませぬ。
タコ先生の交響曲第5番のことです。

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その前に、
一昨日の夜人間不信に陥ることがあってあちらのブログをやめたくなりました。
無礼者は許さない!
正しいとか正しくないとか、教養があるとかないとかという問題以前に、人間としての最低限の礼儀をわきまえていない人がいるということが悲しいです。
中途半端に実際に存じ上げている方だったりするから余計にややこしい。。。
でも、気をとりなおして続けます。
師匠、ありがとうございました。
イギリス音楽もよくご存知なんですね〜感謝です。
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さて、今朝ステキな夢を見ました。
タコ先生がなんと、わたしの肩を揉んでくれているのです。
どういう状況かよくわからないのですが……。
そこへガリーナさんがやってきて
「ごめんなさいねぇ。。。もう、パパったら何してるの? 知らない人の肩なんて揉んだらだめでしょう」
と言うんです。
そしたらタコ先生いわく
「いや、ガリーナ。この子のことはよく知っているんだよ」
と!
きゃあ〜!!!
大感激で、夢が終って欲しくなくて9時まで寝てました。。。

で、起きてからまた考えたわけです。
交響曲第5番の第4楽章について。
ケーゲルの演奏の存在を知らなかったときに勝手に頭の中で第4楽章の最後で鐘を鳴らしたわたしなんですが、普通の流れでいくと、あそこに鐘があってもまったくおかしくないのに、タコ先生が鳴らさなかったのはなぜか。。。
マーラー的な要素をそこここで聴くことができるし、最後のあの盛り上がらせ方もマーラー的だし、ケーゲルの鐘入り演奏に至ってはほとんどマーラーだし。
何故かなぁ……と。
そこではたと気づいたことは……。
マーラーも鐘をよく用いますが、その響を使って表現しているのは現世というよりも天上の世界、死後の世界です。
タコ先生が交響曲第5番の中で希求していた世界は、決して現世を越えた何かとなって掴むものではなく、あくまでも生きている間に勝ち得たいと願う世界であった。だから、あえて鐘を鳴らさなかった。。。
と、また勝手に妄想してしまったのですが。。。
どうなんでしょう。。。



ショスタコーヴィチ先生の交響曲第6番の初演日の謎については、昨日まとまりのないままとりあえず終ったはずなのですが……。

あれからまた考えてしまって。。。

ひょっとして記憶違いではなくて、意図的に11月21日が11月5日にすり替えられたのではないだろうか?
ということを考えてしまったんです。

空前の大成功を収めた交響曲第5番の初演日から2年後の11月21日。
「初演は幾分戸惑いを持って受け止めらたらしい。
当然のことながら、レーニン交響曲を強く期待していた向きからは失望と不評を買った。」
という記述が工藤庸介さんの『ショスタコーヴィチ全作品解読』のp.49にあることからも、政府としてはこの曲があまり好ましいと思われるものではなく、交響曲第5番の初演日と同じ日とするのを好まなかった?

この時期の大きな時代背景としては
8月の独ソ不可侵条約締結。
9月のナチスドイツ軍のポーランド侵攻を機に第二次世界大戦勃発というのがあり、政府としては別の日にちということにしたかった?

問題はタコ先生に近い存在であるグリークマン。
グリークマンはなぜ11月5日にしたのか、または、したかったのか?
ここに大きな「何か」があるような気がするんですが。。。

深読みしすぎ?

でもこれだけでも推理小説がひとつ書けそうですね!
どなたか書いてください♪

一次資料というのはアルマ・マーラーのマーラーに対する記述の例からも、巧妙に隠蔽・偽装されることがあり、後世の人はその一次資料をもとにいろいろな考察をめぐらすわけだから、グリークマンのロシア語の原著をまじめに読み込んでいた研究者ほど11月5日ということにしてしまっているのかもしれない。

と、妄想はどんどん膨らんでいくのです。
ただ本当に単純にグリークマンの記憶違いなのかもしれないけど。。。
ちなみにこの部分は書簡ではなく、グリークマン書簡集を出版するにあたっての「序文」の中に書かれているもの。

何かの資料を見てグリークマンが「序文」を書いたのだとしたら・・・

ああもう完全にラビリンスだわ。


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