アレグロ・エネルジコ マ・ノン・トロッポ

大好きなショスタコーヴィチ先生やマーラー監督の音楽をめぐっての考察(妄想とも言います)や、
出かけたコンサートの感想などを中心にして好きなものごとについて綴っております。

March 2011

名古屋フィルハーモニー交響楽団 特別演奏会
コバケン・スペシャルVol.21《ロシアン・フェスティヴァル3》

EPSON006チャイコフスキー:
歌劇『エフゲニー・オネーギン』より「ポロネーズ」
ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番*
(休憩20分)
ムソルグスキー/ラヴェル編:組曲『展覧会の絵』
〈アンコール〉
モーツァルト:ピアノ協奏曲第23番第2楽章「アダージョ」
(小林研一郎 弾き振りによる)

指揮:小林研一郎
*ピアノ:小林亜矢乃

2011年3月30日(水)18:45〜
愛知県芸術劇場コンサートホール


年度末の演奏会が小林研一郎先生の指揮によるロシアものであることだけでも十分すぎるほど嬉しいのに、これほど色々な意味で充実したものになるとは予想していませんでした。
(だから「今年度の演奏会を振り返って」は来年度の記事になってしまうと思います)

6時15分ぐらいにコンサートホールの入り口に着いたら、中から楽器の音が聞えてきました。
リハーサルの音にしては大きすぎるし、何だろうと思ってガラス越しに覗くと、そこには人だかりができていました。
案内板を見て合点がいきました。
入り口を入って左側(傘立てが置いてあるところ)のところで、名フィルの方々が入れ替わりながらロビー・コンサートを行っていらっしゃったのです。
6時から4曲。きっとサイトでは案内があったのでしょうが、迂闊者のわたしは見事に聞きのがし、そして、ロビー・コンサートの案内を写真に収めることも失念しました。ああ、情けなや。
(4月1日:該当ページへのリンクを追加しました)


何と言うか、非常にオーソドックスで「ありがち」なプログラムだと言われればそうなんですが、小林先生が指揮をされると全然ありがちではなくなるんですね、これが。

今回の席はL1列の若い番号のところで、小林先生のお顔をはっきると見ることができる席でした。

先生は入場されてすぐにご挨拶をなさいました。
ようこそいらっしゃいました。に続いて、皆様、ご起立くださいと。
全員で黙祷を捧げることから始まった演奏会です。

『エフゲニー・オネーギン』の「ポロネーズ」は、3回にわたって行われたこの《ロシアン・フェスティヴァル》の最後の幕開けにふさわしい、華やかでくっきりとした演奏で、この時点で、今日は素晴らしいものに違いないと思いました。

ラフマニノフのピアノ協奏曲の第2番は、千秋先輩とは関係なくもともと大好きな曲です。
それをどのように小林亜矢乃さんが聞かせてくださるのか…というのもワクワクの一つでした。

8小節にわたって高音部と低音部で交互に響く和音がクレッシェンドしながらゆっくりと進んでいく、その間にすでに腕には来ていたのですが、ピアノの独奏が終ってオーケストラと融合する部分で、もう、全身にびしびしと来ました。
足の先から頭の先に抜けていく痺れるほどの気持ちよさ、胸が苦しくなるほどのぞわぞわとした感覚です。
大きな音楽のうねりの中に放り投げられ、音の中に飲み込まれ、なすがままにされた半時間。
第1楽章から第3楽章まで鳥肌は収まることはなく、思い出して書いてる今も腕に鳥肌がたっています。
小林亜矢乃さんは、華があるのだと思いました。
演奏会が終って言葉を交わさせていただく機会を得たのですが、華奢で小柄でとても美しい方(そして何しろ顔が小さい)なのですが、ステージ上での存在感は圧巻で、小林先生との息もぴったり。
これ以上ないくらい幸せなラフマニノフでした。終わりに近づいたところで「ああ、終ってほしくない」と思いました。

さらに、『展覧会の絵』と言えば、おそらく私が最初に大好きになったオーケストラ曲ではないかと思います。
小学生か中学生(なんと曖昧な)のころの音楽の時間には「音楽鑑賞」ってあったじゃないですか。
わたし、あの時間好きだったんですよ。
それで『展覧会の絵』か『禿山の一夜』かどちらかを聴いて、ムソルグスキーが好きになり、何度も何度も繰り返し聴いたものでした。
密かなお気に入り曲なのです。
そして、これがまたすごかった!!!!
というか、金管群の安定感が抜群で、特にトランペットが見事でした。
『展覧会の絵』って、最初の「プロムナード」の部分がやはり命だと思うのですが、危うさのかけらもなく、実に堂々とし、かつ朗々とした道行きでした。
ラフマニノフのときも『展覧会の絵』のときも小林先生がトランペットの首席さんを真っ先に立たせたのは当然のことだと思います。
ユーフォニウム持ち替えも、トロンボーンもホルンも、もう、とにかく金管万歳でした。
そして、やはり小林先生です。
いつもよりは少し控え目であったのかな…とは思いますが、聴き手をぎりぎりまでじらすタメや、激しい音の飛ばせ方。
完全にノックアウトされました。
終曲の「キエフの大門」の最後でグロッケンシュピールを含む打楽器が鳴り響くところでは金縛りにあったようで、あまりにも嬉しくて苦しくて身動きがとれませんでした。

すばらしい大団円だったので、アンコールは当然ないと思っていたら小林先生が
「アンコールではピアノを使いますので、皆さま、1分30秒ほどのご辛抱をお願いします」
とおっしゃいます。
ピアノの準備ができ、指揮台も用意されたので小林亜矢乃さんを伴って出ていらっしゃると思いきや、出ていらしたのは小林先生お一人です。
ピアノの横に立って静かに、でも、よく通る声でおっしゃいました。
「今回のことでお亡くなりになった方々のために、オーケストラの皆さまにご協力いただいて、モーツァルトの23番の2楽章をお送りすることにいたしました。
なにぶん演奏者ではないので、指が回らないことがあったらお許しください」
と。
そして心に真っ直ぐに飛び込んできたモーツァルトのピアノ協奏曲第23番の第2楽章。
もちろん、小林研一郎先生がピアノを弾き、そして指揮をされたのです。
状況が状況ですから、やや過剰に感傷的になってしまったのかもしれませんが、でも、だからこそ、ありきたりな言葉で恥ずかしいのですが、まさに心が浄化されました。
時々抱いてしまう悪しき思いや、ネガティヴな思いはたちどころに消え、音楽の力というか、小林先生が引き出された音楽の力に完全に打ちのめされました。
弾き終わった小林先生も涙を流していらっしゃいましたが、家に帰ってから、先生は福島県のいわき市のご出身であることを思い出しました。
モーツァルトのピアノ協奏曲第23番は、昨日から、わたしにとって特別な存在になったと思います。

演奏後は、小林研一郎先生、小林亜矢乃さんご自身も募金箱を持って出口に立たれました。

この先、何か辛いことや、怒りに打ち震えるようなことがあっても、
あの瞬間を思い出せば、大丈夫です。
どんなネガティヴな思いもあの演奏の前では無力であると、そう確信することができました。
特別なものを与えていただいたという感謝の気持ちでいっぱいです。

名フィルの皆さま、小林亜矢乃さま、そして小林研一郎先生、本当にありがとうございました。
あの場にいられたことに心から感謝いたします。

東北関東大震災から2週間経ちました。
直後から、何かを書こうと思いながらも何を書けばいいのかわからずに時間だけが経ってしまいました。
自分の中の記憶として当日のことを書こうという気持ちが少し出てきたので残しておきたいと思います。

3月11日(金)は、名フィルのゲネプロ見学会がありました。
定期会員のお友達に誘っていただき出かける機会を得ました。

待ち合わせの前に、栄の東急ハンズに寄りました。
何を買ったかというと……ヴァイオリンです。。。
何故そのタイミング(プロのオーケストラのゲネプロを見学する前に、楽器屋さんではなく、なぜ「東急ハンズ」でヴァイオリンを買うのか!!)かというと、新学期何とかセールで、ヴァイオリン入門セットが激安で売っていたからです。溯ること一週間ぐらい前のチラシでチェックし「買わねばっ!」と気合を入れていました。
最後の1セットを買うことができました。
東急ハンズの巨大な袋をガサガサさせながら芸文ホールの入り口で待ち合わせ。
ヴァイオリンケースが入っているわけなので袋も巨大で、かなり人目を引いていたように思います。

ふと、貼り出されていた予定表に目をやると、かなり充実した内容に感動しました。
何しろ、ゲネプロ見学会なので1時間ぐらいで終わるのかと思っていましたから。

巨大袋を携えた私の姿にお友達も驚いていたのですが、私としては、クロークに預けるつもりだったので
「買っちゃった〜」
と他愛なく笑っておりましたが、演奏会ならばともかくゲネプロ見学会でクロークが開いているわけもなく、そのまま巨大な袋を抱えてコンサートホールへ入ることに。
演奏会で、もし、こんな荷物を持った人がいたら、ものすごい目で睨むと思うんですよ、わたし。
その人になってしまうとは……トホホ
荷物を足元に置いて席についたら案の定前の座席に座った男性から睨まれました。
ゲネプロ見学は2階の中央席が開放されていて、人数もそんなに多くなかったので、一列分ずらっと空いている席の足元に東急ハンズの袋を移動させ、見学することにしました。

普段着の名フィルの方々を見るのは何とも新鮮かつ不思議。
和やかな雰囲気に満ちていました。
がやがやとしているところに黒いお召し物の指揮者の小泉和裕さんが登場。
ぴりっと走る緊張感。
ひと言二言名フィルのメンバーの方に声を掛けて、リハーサルが始まりました。

まずはモーツァルトの交響曲第36番。
ゲネプロ開始は2時45分でした。
少しして気持ちが悪くなりました。貧血を起こしたような頭がゆらゆらする感じ。
当日はかなり暖かかったのに厚着をして出かけてしまい、おまけにホールの中も暖かかったのでのぼせたのだと思いました。
ひょっとして「地震?」とも思い、そっとまわりを見回したのですが
誰も慌てるそぶりをみせてはいません。
気持ち悪さはどんどん高まり、
「ああ、貧血を起こして倒れる……」
と、思いながら椅子の袖をつかんでいたら、隣の友人が
「ゆれてない?」
と言い、ステージの上のマイクを指差しました。
見ると・・・ゆっくり左右に動いているのがわかりました。
このあたりから、周りにいた人たちも異変に気づきざわめき始めました。
わたしは・・・とふと天井に目を向けたとたん、その場で腰が抜けたような状態になりました。
コンサートホールの天井のシャンデリアとライトが交互に大きく揺れていたのです。
同じ動きではなく、列ごとに交互に揺れ動き、その揺れはどんどん激しくなっていきました。
ステージ上でも、袖から関係者の方が出ていらしてざわざわです。
けれど、小泉さんは気づくことなく冷静に指揮を続けられていて、しばらくしてから気づかれたご様子でした。

腰を抜かしている場合ではなく、東急ハンズ袋をもってあわててホール外へ。
でも、ホワイエから外を見るのが正直恐ろしく感じました。
いつもの風景が一変しているのではないか、ビルが崩落しているのではないかと考えてしまったのです。
芸術文化センターそのものが、おそらく、しっかりとした耐震・免震構造でしょうから、そこがあれだけ揺れるということは……という思いからです。

友人がワンセグ携帯を持っていたので、何が起きたのかはすぐにわかりました。
大槌町にご親戚がいらっしゃるという友人は、ずっと連絡を取り続けていました。
わたしは床にへたり込んでいました。
すぐそばに友人がいて、居合わせたお二人の紳士がお話相手になってくださったので
不安に押しつぶされて泣き出すことはありませんでしたが、ひとりだったら泣いていたと思います。
「こんな日に買ったんだから、ヴァイオリン頑張って弾かないといけませんね」
と言って微笑ませてくださった方もいらっしゃいました。
あの時、お話相手になってくださった紳士さま、ありがとうございます。

しばしの中断の後再開された見学会ですが、始まったとたん、余震があったので結局見学会は中止となりました。

その後友人と、芸文センターに隣接するオアシス21にあるスターバックスに入りました。
854cdc25.jpg

そこで感じた違和感を何と表現すればいいのでしょう。
ほんの1時間ほど前に、あれだけ大きな地震があったことがまるで嘘のような空間が広がっていました。
たった今、自分が経験したものが現実ではなかったかのような空間。
自分の記憶が間違ったものであったのかもしれないと思った一瞬でした。
背筋がぞわぞわする気持ちの悪い違和感。

資格試験用と思われる問題を懸命に解いている人。
手を取り合って談笑している恋人たち。
かいがいしく動き回るお店の人。
普段と何一つ変わることのない風景。
お店の前を行き交う人たちの足取りも慌てたものではなく
「通常」という時間がそこには確かに流れていました。

でも、普通ではないことが現実として起こったのです。

2011年3月11日、14時46分に。

あの日を境目にして、私の中でも何かが変わってしまったと思います。
決して巻き戻すことのできない何かが。

でも、時間は容赦せず流れていきます。
その「通常の時」の奔流に早く戻りたい…被災地外にいて
そう願ってしまうのは、傲慢な考えかもしれません。
申し訳ないと思いながらも、前に進みたい、そう思う自分を止めることができません。

今年出かけた演奏会のパンフレットを眺めたりして精神の安定を取り戻そうと思い続けた2週間でした。







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