アレグロ・エネルジコ マ・ノン・トロッポ

大好きなショスタコーヴィチ先生やマーラー監督の音楽をめぐっての考察(妄想とも言います)や、
出かけたコンサートの感想などを中心にして好きなものごとについて綴っております。

カテゴリ: マーラーをめぐること

昨夜twitterでもつぶやきましたが、
「集中力を高めるにはBGMにマーラーを流すのがよい」
というような内容の文章が、ある週刊誌に書かれていたのでびっくりしました。

単にマーラーをモーツァルトと勘違いしたのではないかとも思ったのですが、どちらにしても疑似科学には違いないなーと思って読んでいました。
その文章に添えられていたイラストも苦笑を誘うものだったので、そのイラストを紹介しつつ、思うところを書いてみたいと思います。

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オルカ・フィルハーモニー管弦楽団第5回演奏会
名古屋マーラー音楽祭第1部 交響曲第7番


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マーラー:交響曲第7番

指揮/角田鋼亮

2011年9月4日15:00〜
愛知県芸術劇場コンサートホール


いやはや、昨日はすごい雨でしたね。
暴風警報が出ていた金曜日よりも台風のような一日でした。
何度も
「出かけるのはやめよう」
と思いましたが、マーラーを聴くきっかけとなった交響曲第7番の演奏会です。
なかなか実演に触れる機会もない曲なので、長靴を履いて、完全武装して出かけました。

マーラーの交響曲第7番を生で聴くのはたぶん5回目か6回目。
バレンボイムとアシュケナージと沼尻さん指揮によるものとアマチュア・オーケストラで2回ほど聴いています。

この曲って、聴けば聴くほどわからなくなる……というか、音楽というよりもマーラーの意志としての表象の世界(なんちゃってショーペンハウアー)そのもののような気がして純粋な音楽として聴くのは難しいのです。。。
マーラーの頭の中ってこんな感じなのかしらね〜と思ってしまう。
(と書くと、きっと夫が「なぜあれほど明快でシンメトリーでバランスのとれた曲を難解だと言うのか!モーツァルトのセレナーデのように整った曲だ〜!」と吼えると思うのですが、まあ、それはそれで……聞き流しておこう)

めったに聴けないマーラーの7番で、オルカ・フィルの演奏会。そしてマーラー音楽祭の後半の始まりのような演奏会なのできっと満席になるに違いないと、並ぶの覚悟で早めに出かけたら、
大ホール前にはジベタリアンがいっぱい。。。
き、客層かわったのか????
と思っていたら、どうもそうではなく、コンサートホールへの長蛇の列もできていませんでした。
開場時間を早めたのはモー○○○娘さんたちのコンサートが大ホール(オペラホールなのに……)で同時間帯に行なわれていたみたいで、そのコンサート目的で押し寄せていた人たちとの混雑を避けたためかしら……とも思いました。
というわけで、さささっと入ることができてプラチナ席ゲットでした☆

会場が満員でなかったのは、やはり台風の影響が大きかったのではないでしょうか。
オルカ・フィルの演奏会っていつも人がいっぱい入るので……。

演奏は、角田鋼亮さんのしっかりとした全体設計にオーケストラが喰らいつく(言葉が綺麗じゃなくてスミマセン。。。でも、そういう一途な感じがしました)という好演だったと思います。
最後まで力が途切れることのないダイナミックな演奏でした。
ここまで燃焼度の高い演奏をするためのメンバーの皆さまの日頃のご努力には頭が下がります。
だってお仕事の合間をぬって練習していらっしゃると思いますから。
第2楽章冒頭の金管が緊張のためか不安定なものになってしまったのは少し残念でしたが、最後の怒涛の盛り上がりで、細かいキズのようなものは払拭されました。
ベルアップも素敵でした
7番は視覚的にも楽しい曲だと改めて思いました。
ベルアップは言うに及ばず、個人的には銅鑼とグロッケンシュピールを担当していらっしゃった女性から目が離せず、最後の最後で銅鑼をばお〜んと敲いたあと、しゅたたっとグロッケンシュピールのポジションに戻り鐘の音を響かせるときにはドキドキしました。

それにしても、
ああ、ヘルデングロッケンがほしいわ。。。マジで。

で、大満足でホールを出ると……

この続きはプライベートモードで書きますが、
ブログの記事につけているサブタイトルが今回は「のだめ語」なのについてひとこと。

角田鋼亮さんと言えば、『のだめカンタービレ』では千秋真一先輩(つまり玉木くん)の指揮指導をし、さらに映画『のだめカンタービレ・最終楽章』では千秋先輩のピアノ演奏の手元吹き替えを務めた方でもいらっしゃるからです。

「ぎゃぼっ」じゃなくて「はうん」のほうがよかったかも。

ちなみに、角田さんは12月24日にオストメール・フィルハーモニカーを率いて第10番(バルシャイ版)を指揮なさいます。
今から期待が高まりますね
ちなみにクック版の名古屋初演も角田さんとオストメール・フィルハーモニカーによるものでした
もちろん聴いておりますよ☆
バルシャイ版とクック版の両方をアマチュア・オーケストラを率いてやってしまうというのは、名古屋、いや、日本、いや、世界的にも快挙と言ってもいいのではないでしょうか
とにかく角田鋼亮さんには、ずっと注目し続けたいと思います。

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興味深い記事を読んだ。
これが、その該当記事。

広く音楽評論家として世間に認知されて、フランス政府から勲章も受けている、おそらくその世界での重鎮とされている人の発言だ。
まったく見事としか言いようのない「俗説」のカタログのような内容である。
この思考停止状態には正直びっくりした。

素朴な疑問が生ずる。
それは、F山氏に限らず、旧態依然の文章をあちこちで書いている「評論家」や「音楽ライター」という人には新しい(わけではない)情報を自ら吸収しようという姿勢はないのだろうかということである。

ここで言いたいのは、夫が書いた本を読んでからものを言え……という過激にして自己中心的なことではなく、マーラー研究は、世界のさまざまところでなされており、上記の「俗説の見本」がいかに時代遅れなものであるかということは、新しく出ている海外文献などを読めばわかるだろう、そういうものに自ら接することを何故しようとしないのかということである。
というかF山氏は20年近く前にラ・グランジュの『グスタフ・マーラー 失われた無限を求めて』を翻訳しており、その中でラ・グランジュが述べている説もまったく斟酌していない。
これは一体、どういうことだろう。
翻訳をしている段階で得たものはなかったのだろうか。
半世紀前から言われていることと全く同じことを繰り返して書いている姿勢について恥ずかしいとは思わないのか。
それとも、「どうせ知らないだろうから」ということで読者をバカにしているのか。
こういうやっつけ仕事のような文章を読むと本当に悲しくなる。
マーラーについて書いている文章がこうなのだから、他についても推して知るべし……と思ってしまう私は了見の狭い人間なのだろうか。

知らない人をバカにしたような発言は「東電」にも通じるような気がするが、健康被害がないだけに、この手の「俗説」はある意味さらに罪が深いと思う。

音楽祭なども広く企画しているF山氏。
おそらく、その場で配られるパンフレットなどにも、同じようなことが書かれているのだろう。
「先生、ちょっと違うんじゃないですか」と、誰も何も言わないのだろうか。

こうして、時を経ても俗説は再生産され拡散される。
おそらく100年経っても、「マーラーは不遇だった」とか「死の影に…」という説が涼しい顔して一人歩きしているんだろう、きっと。
そして、このような状況は緩やかに「クラシック音楽の死」にも繋がっていくのだろう。
暗澹たる気分だ。

F山氏だけではなく、「音楽評論家」を名乗る人にお願いしたい。
自分の発言力の大きさを考えて、もっと勉強して真摯な文章を書いてください!

そしてさらに興味深いのは・・・・・・(以下は差し障りがあるかもしれないのでプライベートモードで)

なお、携帯電話でお読みいただいている方にはログイン画面が表示されません。
プライベートモードはパソコンもしくはスマートフォンでしかご覧いただけないようです。
すみません
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今日はカラヤンの命日だそうですね。

そして、ベルリン・フィルの来日公演のチケット販売が今日からだったようで、ツイッターのTLには朝から悲喜こもごものつぶやきが流れていました。
チケットを見事獲得された方は、カラヤン先生のご加護があったのでしょうか(じ、冗談です

でも、今日は、こちらを聴きたいと思います。
モーツァルトの 『後宮からの逃走』 

なぜなら、このオペラが初演されたのは1782年の今日7月16日だから。

マーラーは、モーツァルトのオペラを当然たくさん指揮しています。
『フィガロの結婚』が一番で83回。
『魔笛』が二番で74回。
三番が『ドン・ジョヴァンニ』で59回です。
でも、それらに比べると『後宮からの逃走』はずっと少なくて『コシ・ファン・トゥッテ』と並んで18回です。
(いずれも通算)
需要がなかったのかなぁ。。。
カラヤンと『後宮からの逃走』との関係はもっと希薄で、1946年にヴィーン・フィルを指揮してシュヴァルツコップの歌うアリアの伴奏を録音しただけのようです。
さらに需要がなかったのかなぁ。。。

スペインの青年貴族ベルモンテの許婚コンスタンツェは海賊にさらわれてトルコに売られ、ベルモンテの従者ペドリルロや自身の侍女ブロンデとともに太守セリムの後宮に幽閉されています。
コンスタンツェを探してベルモンテがやってきますが、オスミンという番人に邪魔をされます。
このオスミン、ブロンデのことが気に入っているのですが、ブロンデはペドリルロと恋仲です。
いろいろな恋愛感情が複雑に絡みあい、逃走計画も上手くいきそうで失敗したりとはらはらしますが、最後は「非道に対して善行をもって報いる」という太っ腹のセリムの決定で、めでたしめでたしというお話です。
(って、これほど端折っていかがなものか


当時は「トルコ風」なものが流行っていたので、モーツァルトも例に漏れることなく、そのトルコ風の音楽を随所に取り入れたみたい。
シンバルやピッコロが賑やかな音を奏でる「序曲」はまさにトルコ風ですよね。

モーツァルト:序曲集
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逃げたいものはいろいろありますよね。
せわしない日常の日々や過酷な現実や仕事の締め切り。
でも、今私が何よりも逃げ出したいのは、この暑さからでしょうかsei


今日は、コバケン先生の演奏会。
あの、魔法の左手でパワーを持っていかれるのかな

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