アレグロ・エネルジコ マ・ノン・トロッポ

大好きなショスタコーヴィチ先生やマーラー監督の音楽をめぐっての考察(妄想とも言います)や、
出かけたコンサートの感想などを中心にして好きなものごとについて綴っております。

タグ:交響曲第7番

fe5b6823.jpg明けましておめでとうございます。

旧年中はお世話になりました。

ウサギのように、跳躍する1年にしたいと思います。

皆さまにとりまして、マーラーの交響曲第7番の最終楽章のように、燦然と輝く1年となりますように☆


今年は来月あたりからショスタコーヴィチ先生の日表作りをしたいと思っています。
今月は月末締め切りの原稿を抱えていて、時間がなかなかとれそうになく、演奏会にも出かけられそうにありません。
ブログの更新もあまりできないと思います。
でも、時間があったら頑張ります☆

そんなこんなですが、今年もどうぞ宜しくお願いいたします

情動脳直撃の演奏会

この状態でブログの画面を開くのもどうかと思ったのですが、
頭の中の
嬉しい嬉しい嬉しい
という気持ちをどこかにアウトプットしないと寝られそうにないので叫ばせてください。


わたしは幸せだ〜〜〜

今日の演奏会の席は、コンサートホールに行ってからのお楽しみ・・・ということだったのですが、
何と、何と、何と、1階2列目、中央やや右よりという場所でした。
明日も聴くので、今日は70%ぐらいの気合で・・・と思ったのですが、はなっから無理。
場所が場所だけに120%ぐらいの気合で聴いてしまいました。

井上道義先生がほんの数メートル先に
明日の席では決して見られなかったであろう、微妙なニュアンスの動きもつぶさに見ることができました。

そして、わたしの中ではほぼ不動と思われた
アバドさま+ルツェルンのマーラー、交響曲第6番@サントリー・ホールと
並んだか越えたかしてしまったかもしれません。。。
ああ、音の奔流が今も頭の中に鳴り響いています。

本当に幸せです。

煩悩や憂いや、その他いろいろなことが吹き飛ぶほどの悦び。
ああ、至福とはこういうことを言うのでしょうね。。。
最近ちょっと心がざわついていて、軽く幽体離脱状態だったのですが、魂がきちんと器に収まったというかなんというか、我にかえることができました。

ショスタコーヴィチの交響曲第7番は素晴らしい。

井上道義先生は素晴らしい。

そして名フィルは素晴らしい。


おおよそ感想文からは程遠いです。

もう少しまともなことは、明日の演奏会を聴いて、ちょっとだけ冷静になったところで今日の演奏会と関連づけながら書きたいと思います。
(書けないかもしれないけど)

以上、簡単ですが、心の叫びでした。

MahlerianルートヴィヒMさんも、『7番』を聴けと言っていますね。
タコ先生のではなくて、マーラーのですよ!
詳しくはそちらを見ていただくとして、本日はMahlerianにとっては特別な日なのです。
マーラーの交響曲第7番がチェコ・フィルによってプラハで初演されたのが100年前の本日なのです。
指揮はもちろんマーラー自身です。

というわけで、本日我が家では朝から「輝かしい超長調」が響き渡っています。
今流れているのは3つめ。そろそろ自室にでも避難しようかな。。。

で、わたしにも何か書けというので小林先生のことを書こうと思います。

ジャケット 028これはマーラーの交響曲第7番のフルスコアです。
そして、表紙をめくると……

192eadee.jpg
あっ! 誰かのサインだ!
おお〜!!
「小林研一郎」と読めます。

ジャケット 026そして、小林研一郎先生指揮/チェコ・フィルのCDにもサインが!
恐るべしって感じですね。

2001年5月26日、この日は名フィルのゲネプロを見学するために(当時「名フィルファンクラブ」に入っていたので、このような機会がたびたびあった)名古屋市の金山というところにある市民音楽プラザ(名フィルのリハーサル室などが入っている建物)に来ていました。
梯剛之さんのモーツァルト・ピアノ協奏曲とベルリオーズの『幻想交響曲』なのですが、なぜかわたしはマーラーのスコアとCDを、「万が一」の時のために持っていったのです。
そして、ゲネプロの少し前に1階の喫茶コーナーにいたら、
「あの〜、チョコレートパフェもいただけませんかぁ〜」
という、美しいテノールの声が後ろから聞こえるではありませんか。
振り向いたら、小林研一郎先生ご自身が、喫茶コーナーで注文をされている〜!
来たぞ、チャンスが! です。
「あの〜」
と、おずおず進み出て
「サインを〜」
というと、にっこりとお笑いになった小林先生。
差し出したスコアを見るなり、
「マーラーの7番! あなた一体どうしちゃったんですか?」
と、さらに顔をくしゃくしゃにして微笑まれながらしていただいたのが上のサイン。
「チェコ・フィルとでCD出してますよ」
と、おっしゃるので、それを差し出したら、ものすごーく喜んでくださった。
そして、がっちりと握手

「いい方だわ……」

それから小林先生とはちょくちょくご縁があって、演奏会後に偶然お目にかかる機会も非常に多いのです。
岡崎に行ったときも、駅でお目にかかりサインをいただいたと思ったら、同じ車両に乗り合わせることになり、先に下車したわたしたちの姿が見えなくなるまで、席で立ち上がったまま見送ってくださったり、お優しいというか、サービス精神に満ち溢れていらっしゃるというか。。。
一番驚いたのは、拙訳書『マーラー 交響曲のすべて』を、所属音楽事務所付けでお送りさせていただいたら、数日後に自宅の電話のベルが
「わたくしシキシャノ小林と申します」
この「シキシャ」がわからなくて頭の中で「識者」と変換してしまったんですね。
「識者の小林……誰?」
と思って、怪訝な声を出したら、
「指揮者の小林研一郎です」
って。。。。。本人ですよ! お忙しい方だから、お手に渡るだけでも光栄だと思っていたら、ご本人がお礼のお電話をくださったわけです。
もう、本当に感動いたしました。 
感動しすぎて頭真っ白で話の内容はほとんど覚えていません・・・

ちなみに今はこれが流れています。
ジャケット 027


そして、最後にちょっと悲しいことを。
名古屋港水族館のシャチの「クー」ちゃんですが、看病のかいもむなしく本日朝8時ごろに死んでしまったらしいです。
2〜3日前の新聞に7月の下旬から風邪気味で、公開を中止してずっと闘病生活に入っているという記事があって心配していたのですが、このようなことになってとても残念です。
お昼のニュースで死亡を知ったMahlerianは泣いていました。

「クー」ちゃんに交響曲第7番の最終楽章をささげたいと思います。
輝かしい音に導かれて天国にいけますように。

マーラーの交響曲第7番の最後の部分について、拙訳書から引用させていただきます。
「……そして、この楽章の終わりのところでは、ヘルデングロッケンをはじめとして他の多くの鐘が繰り返し響き渡る。鐘は、マーラーにとっては永遠性を象徴する響きであった。」(コンスタンティン・フローロス『マーラー 交響曲のすべて』p.272)



グスタフ・マーラー:交響曲第7番
高関健 指揮
群馬交響楽団

 「アルマの呪縛」というタイトルで何回か書いてきて、まだ中途半端なところまでしかきていないのでその続きを早く書かなければと思っているし、5月18日にシシーさんからいただいたご質問に対してのお答えも詳しく書きたいと思っているのだが、それよりも今日は一刻も早く書きたいことができたので、そちらを優先することにする。

 高関健指揮、群馬交響楽団のマーラーの第7番のCDについて、その意義の最も本質的なところを理解していない少々不愉快な批評を目にしたので、どうしてもひとこと言っておかなければいけないと思うのである。

 このCDの意義を理解するためには、先にマーラーのこの交響曲のスコアが抱えている問題について十分に理解しておかないといけない。この交響曲の場合、国際マーラー協会が出しているスコアを単にそのまま音にすればいいというものではないのである。そういう事情は何もこの曲に限ったことではないのだが、この曲の場合桁違いに問題が多いのである。

 桁違いに問題が多い原因ついて、簡単に述べておこう。

 一つ目は、まずこの曲の成立事情そのものに起因する。
 基本的にマーラーという人は、交響曲を作曲する場合、それがどんなに巨大なものであっても、1小節目から終わりの小節へ向けて作っていく人であった。楽章ごとで言うなら、第1楽章、第2楽章・・・という具合に書いていったのである。
 また、前の曲が出来上がってから次の曲に移った。
 これらの点で、第7番は実はきわめて特殊な成立事情を有している。
 つまり、前の曲である第6番の作曲中にすでに中間楽章の作曲に取り掛かっていることと、そのように中間楽章が先にできているのに、肝心の第1楽章については着想すらなかなかできなかったのである(これらの成立事情の問題に関してはフローロスの『マーラー 交響曲のすべて』の、P239の訳注およびその前後の本文と、その訳注に示されているラ・グランジュの書物を参照されたい)。
 このような特殊な成立事情があるので、他の曲に比べて自筆譜の段階ですでにいろいろと難しい問題が発生してくるのである。

 二つ目の問題は、マーラー自身がこの曲を指揮した回数に起因する。
 5回指揮している。
 具体的には1908年9月19日プラハ初演、同年10月27日ミュンヘン、'09年10月2日ハーグ、3日と7日にアムステルダムでそれぞれ指揮している。
 他の曲の場合、はるかに多い回数指揮しているか、逆に2回(第8番)とか3回(第6番)という極めて少ない回数しか指揮していないかのどちらかである。
 回数が多い曲の場合は、スコアへの書き込みや楽団員への指示がある程度淘汰されているし、逆に少ない場合はそれらの絶対量が少ない。
 しかし第7番の場合は、多くも少なくもない絶妙な回数なので、演奏ごとの指示などを批判版のスコアにどのように取り入れるかという点で、きわめて大きな困難が生じるのである。

 以上のような問題があるので、真剣にかつ良心的にこの曲と取り組もうと考えるのならば、すでに出版されてから半世紀近くが経った協会版スコアをそのまま使って満足してはいられないだろう。

 また、実際上記のような問題があるので、この第7番に関しては、自筆譜のファクシミリが出版されたりしているのである。

 さて、そこで高関健である。

 群馬交響楽団とこの曲を演奏するのに際して、彼は、現在参照可能な資料にあたるのはもちろん当然のこと、直接国際マーラー協会のクビーク博士らと連絡をとることで、徹底的な検討を加え独自の演奏版を用意したのである。これが大変な作業であったことは想像に余りあることで、頭の下がる思いがする。

 この独自の版に基づいて今回CDになったこの演奏は行なわれた。

 演奏の質についてどうこう言う以前に、まず、世界でも稀に見る重要な存在意義をこのCDは持っているのである。

 その上演奏もなかなかのものである。CDとして数ある個性的な名演と比べると、際立った個性を主張しているとは言い難いけれど、この曲がもともと持っている魅力を非常にストレートに過不足なく表現することに成功している。
 最終楽章に向けて的確に音楽が進んでいき、最後は壮大に盛り上がって大団円を迎える。 拍手が早いのが少々残念だが、その場にいて感動を共有した人たちの気持を考えると、まあ、わからないでもない。

 というわけなので、「……あえて世に問う意味があるのだろうか。」などという批判はなされるべきではないだろう。
 このCDはマーラーに興味のある人は皆持っていなければならないものであると私は思う。

参考文献
  

 最近もある雑誌の記事にアルマの回想録が「客観的に書かれたもの」であるかのように紹介されていた。もちろん、アルマによる回想録は大変重要なものであるが、単に記憶の混乱による間違いだけではなくて、意図的な歪曲や隠蔽に満ちたものであることが、随分以前から明らかにされている。
 「客観的」だなどと思って鵜呑みにしていると、非常に多くの、また、さまざまな次元でのマーラー象の歪み、誤解にとらわれてしまうことになる。
 例えば、1908年のマーラーに関しても、この書物によって形づくられてきたマーラー像がかなり実際とはかけ離れたものであったことが明らかになってきている。
 前年の3つの大きな打撃(娘の死、自分の病気、宮廷歌劇場との決別)のために心身ともに最低の状態に陥ったマーラーは、その後立ち直ることができないまま徐々に衰弱していき、3年後に死んでしまった、そしてその死の影の下で作曲されたのが《大地の歌》と第9番である、という誤解である。この時期のことを、注意深く考えれば、明らかに矛盾する点が多々あることに気づくはずであるのに、アルマの文章のために強い思い込みができてしまっているのである。

 メトへのデビュー。これは1908年1月1日(!)、演目は《トリスタンとイゾルデ》。
 どう考えても失意のどん底にある半病人にできることではない。その後も《ヴァルキューレ》や《ジークフリート》などの大作を続けざまに取り上げている。そして4月の末にアメリカを離れ、5月初めにヨーロッパに帰ってくる。
 この時期についてのアルマの記述は、マーラーから一方的に任されて、自分と母親が苦労して夏のための別荘を探したという話が中心になっていて、マーラーの動静についてはほとんど書かれていない。それで、マーラーは動く気力もなかったのか、あるいは動き回れないほどに具合が悪かったのかと読者は自然に(勝手に)思い込んでしまうことになる。このあたり、積極的に嘘は書いていないが、実に巧妙である。
 実はこの時期のマーラーは指揮者として忙しく飛び回っていたのである。
 5月初め、ヨーロッパに帰って旅装を解く間もなく、ハンブルクへ、ヴィースバーデンへ、そしてプラハへ。このプラハ行きは、皇帝フランツ・ヨーゼフのボヘミア王在位60年の記念式典の演奏会の指揮のため。そしてこれが縁でチェコ・フィルから再度の客演の申し出を受け、交響曲第7番を初演することになる。
 このあたりのことをアルマは非常に周到に回想録(とそれに付けたマーラーの書簡集)の中から消し去っている。

 そろそろアルマの呪縛からマーラー像を解き放ちたいものである。
              

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