アレグロ・エネルジコ マ・ノン・トロッポ

大好きなショスタコーヴィチ先生やマーラー監督の音楽をめぐっての考察(妄想とも言います)や、
出かけたコンサートの感想などを中心にして好きなものごとについて綴っております。

タグ:交響曲第9番

名古屋フィルハーモニー交響楽団第377回定期演奏会
〈「都市と音楽」シリーズ〉ウィーン
マーラー没後100年記念プログラム
img004マーラー:交響曲第9番

指揮:ティエリー・フィッシャー

2011年2月19日(土)
16:00〜
愛知県芸術劇場コンサートホール


今年最初の演奏会がマーラーの交響曲第9番だなんて、
なんて嬉しいことでしょう。
でも、このホールで聴くこの演奏会が、フィッシャーさんの名フィル常任指揮者としての最後のものになるなんて、
なんて悲しいことでしょう。

ということで、久しぶりの演奏会に出かけました。

ぎりぎりまで当日券を販売していたからなのか、演奏前の最後の調整というか最終的な打ち合わせがあったのか、4時を過ぎてもなかなか名フィルの皆さまはステージ上に現われません。
4時8分ぐらいになって登場。
そして4時10分ぐらいの開演となりました。
マーラーの9番にして、フィッシャーさんの常任としての最後の定期演奏会なので、満員に違いないと思っていたのですが、
1、2階席はほぼ埋まっていたものの、3階の正面席の入りが4割に満たない程度で、折角の演奏会なのに、何だかもったいないなぁ……と思いました。

フィッシャーさんの指揮なので、こう、全体的にさらりと聴かせるのかと思っていたのですが、そうでもなく、かなり大胆な緩急がつけられていたように思いました。
緩急があると言っても、そこに過度の情感や「死」云々を想起させるような変な思い込みはなく、そういったものを排除した中で聴かせるフィッシャーさんならではの音です。
思いがけずゆったりと始まった第1楽章は、所々少し息のあっていないような部分があったのですが、楽章が進むにつれて息もぴったりと合ってきました。
圧巻だったのは、第3楽章の最後の部分のなだれ込むようなところ。
畳み掛けるような激しいテンポで、コーダが熱狂的な頂点に向かって盛り上がっていく部分。
現実的な乱痴気騒ぎのような騒々しさ、その中に突如現われる夢想するような美しい音。
それらが狂おしくめまぐるしく現われては消え、消えては現われる……実は、9番のここが一番好きだったりします☆
音が一つでも崩れれば、それから大きな崩落が起こるようなところを、すんでのところで見事に制御するのは、まさにフィッシャーさんのなせる業です。
そして、第4楽章。
開始部で、ぞぞぞ〜っとなって、主要主題で何度も現われる弦の下降する音型が大好きなのです。
この部分は本当に素晴らしく、フィッシャーさんは、きわめて表現的にめいっぱいの響きと豊かさをもって弦に歌わせていました。
そして最後のエーテル的な終結。
このエーテル的な響きの中にマーラーの生への希望を感じるのです。
「モレンド(息絶えるように)」で終わるけれど、その先には生が続いていく……というか。
最後に発せられた音がホール全体に届き、そしてそれが静かに静かに消えていき、ホールが静寂に包まれました。
長い長い静寂です。
そして、長い静寂を経て、フィッシャーさんがふっと力を緩めたその瞬間、嵐のような拍手が起こりました。

鳴り止まない拍手。。。

フィッシャー親方、ありがとうございました。
名フィルの皆さま、ありがとうございました。

そんな拍手だったと思います。

自分の身体の不甲斐なさにイライラすることの多い6月です。。。
ほんっとに調子悪くて嫌になっちゃいますよ。
何もいらない!!(というわけではないが)健康が欲しい!!!
昨日ドクターに
「ちょっとクローン病が悪化してるかもねぇ。CTかダブルバルーン小腸内視鏡か小腸造影をやってみようよ〜」
と、嬉しそうに聞かれ、さらにどんよりな気分。
できるものなら避けたいわ。

身体と心が元気じゃないとタコ先生が聴けず、それもイライラというか弱い自分への自己嫌悪につながっている気がいたします。
せめてタコ先生が聴けるくらいの体力&気力が欲しい!!

このところ音楽全般があまり身体に入ってこないのですが、マーラーだけは不思議とすんなりと受け容れている自分がいるのですよ。
何故なんでしょう。
マーラーの音楽って、わたしの場合、すみからすみまで健全だと思っている(!?)ので、どんな気持ちのときに聴いても心が折れそうにならないからなのかなぁ。。。
特に第2番(クレンペラー)とか第6番(ブーレーズ)とか第7番(ラトル)とか……は万能だわ。
もちろん、第9番(アバドさま)も然りでございます。
ということで……

本日6月26日は
マーラーの交響曲第9番が初演された日(1912年、ヴィーン、ヴァルター指揮)であり、アバドさまの誕生日(1933年)

でもあるので、日がな一日このマーラーの第9番を聴いています。

マーラー:交響曲第9番マーラー:交響曲第9番
アーティスト:ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
販売元:ユニバーサル ミュージック クラシック
発売日:2002-05-22
おすすめ度:4.5
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あああ。(わからん叫び)

昨日のレミケードの副作用が今ごろ出てきて「ううう。あああ」な気分です。

皆さまは、どうぞお元気で

あっ、そうそう、これを見るのもよいかもね♪
よし、見よう!

マーラー:交響曲第9番 [DVD]マーラー:交響曲第9番 [DVD]
出演:アバド(クラウディオ)
販売元:ジェネオン エンタテインメント
発売日:2005-11-09
おすすめ度:4.0
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81a88e23.jpg8月とともにゴミ当番がやってきました。
見てください、この怪しい格好!
テロリスト一歩手前という怪しい雰囲気を麦藁帽子が和らげていますねぇ。
財前教授(「白い巨塔」だよん)のポーズで記念撮影。

いくら朝早いとはいえ、すでに強烈な暑さ&日差しなんですもん。
ゴミの分別で両手を使うので日傘を差すわけにもいきません。
自己免疫疾患(クローン病はこう表現されることもある)のため医師からなるべく紫外線を浴びないようにとも言われているので、このような格好になってしまったのでした。
みなさん、ゴミの分別はきちんとしてくださいねぇ。
でも、なんかゴミを持ってきた人が怯えていたようだけど……気のせい、気のせい。


ジャケット 016ゴミ当番が憂鬱だったからだと思うのですが、昨夜はなかなか眠れませんでした。
書棚をごそごそして取り出したのが、ルイス・トマス著のエッセイ集。
タイトルは
Late Night Thoughts on
Listening to Mahler's Ninth
Symphony


訳すと『夜更けに(深夜に)マーラーの交響曲第9番を聴きながら』
という感じでしょうか。
なんとも魅力的な響き。そして幻想的なとても綺麗なイラストのカバー。

でも、これが日本で翻訳出版されたら『科学者の夜想』になっちゃった。
自分の価値観でものごとを判断するのはよくないとは思いますが、『科学者の夜想』よりも、原著のタイトルをそのまま日本語にしたほうがずっといいと思うんだけどなぁ。
なによりも著者自身が、この本に収録されている最後のエッセイのタイトルを、本のタイトルにしているのに、翻訳出版される時点でここまで変更してしまってもいいのかしら?
e2aa334d.jpg原題をそのままタイトルにしなければいけないわけではないし、わかりにくいものであったら、出版社が考えて付け直すのは当然のこととはいえ、逆に本来もっている雰囲気というか、著者が持たせたかったイメージとはほど遠い、そのイメージを損なうようなものをつけてしまうのはどうなんでしょう、と思いました。
それに、この本には24編のエッセイが収録されているのですが、その中で「夜」を連想させるものは、最後の「深夜にマーラーの……」だけなのです。
ということは、日本語のタイトルをつけるにあたって原著のタイトルも意識していたことになりますね。なのに、何故、ここまで。。。
わたしが著者ならきっと怒るぞ!

このあたりのこと、Mahlerianがこのところひたすら怒っている『巨人』問題とも相通じるものがあるのではないでしょうか。
タイトルって難しいな。。。

売れる売れないということから考えても、『科学者の夜想』よりも『深夜にマーラーの9番を聴きながら』の方が売れると思うし、インパクトもあるような気がするので、商売戦略的にもいかがなものかと……。


ひょっとすると、「マーラー? 誰それ?」ってことなのかしら???
でもわたしにしたら「科学についてのエッセイ? う〜むむむ。。。何それ?」なんですけどねぇ。
マーラーって知名度が致命的に低いと思われているのか。
マーラーもラモーもみんな一緒、ってことなのか。
などと考えていたら余計に眠れなくなりましたよ。

おそらく出版社の人たちに『科学者の〜』の方が原書のタイトルをそのままもってくるよりも売れるに違いないという小賢しい考えがあったに違いないんでしょうけど。
でも、そんなにマーラーって世間一般に知られていないんでしょうか?
わたしがマーラー偏愛者なので、日本国民におけるマーラーの知名度っていうものがどれくらいなのか客観的に考えられないという問題もありますが……。
どうなんでしょう。

予告どおりレヴューを書きます。

パーヴォ・ヤルヴィ指揮
フランクフルト放送交響楽団

プログラム
R.シュトラウス:「最後の4つの歌」(ソプラノ:森麻季)
マーラー:交響曲第9番

2008年6月5日 愛知県芸術劇場コンサートホール


波乱ぶくみの幕開けでした。

R.シュトラウス:「最後の4つの歌」の最初から不安を予想させるに十分でした。

何というか、とにかく非常に不安定で、大丈夫だろうかという感じなのです。
そこでまず思ったのが、
「この曲あまり合わせていないな。マーラーに専念したのか、それとも、この曲はソリストに任せてしまえということなのか」
というもの。
各パートの入りが不ぞろいで、おかしな音も混じり、集中力を欠いた非常に散漫な演奏。
そして、2曲目でヤルヴィさんが指揮棒を飛ばし(と言うより、手からするっと抜けた感じ)、ちょうど足元に落ちた指揮棒を森麻季さんが拾い上げて、ヤルヴィさんに渡すというちょっとしたハプニングが……。
その後もばらばらな演奏は続きましたが、森麻季さんが見事に歌い上げ、何とか前半のプログラムは終了。
森麻季さんは黒のシンプルなドレスゆえに美しさが際立っていました。
稀有な存在です。
今後のさらなる活躍に大いに期待したいものです。

そして20分の休憩。
隣に座っていた夫婦と思われる30代後半の二人連れの会話が耳に……
夫らしき人
「これから何やるの? げっ、終るの9時過ぎだって。やめとけばよかった」
妻らしき人
「ふーん」
と言いながら携帯を見ている。
そして、二人は席を立ち、戻ってきませんでした。
あなたたちは一体何しにきたのですか!!! 
まあ、チラシとかごそごそやられるよりはましだけど。

チャイムの音。
明らかに客が減っている。
メインはこれからなのに。まったくわけわからん。

チャイムが鳴って5分以上経つのにホール内は明るいままで、ステージにも誰も現れない。

ややあって、
「演奏者の都合により今しばらくお待ちください」
このアナウンスが2度流れ、またややって、
「出演者が急病のため、今しばらくお待ちください」

少なからぬ数のコンサートに出かけているのですが、こういったことは初めてです。

オーケストラですから、誰が欠けてももちろん大変なことに違いありませんが、でも、一体誰が急病なのか気になってしかたありません。
「弦ではないな。この曲で代わりが出来ないといったら金管のトップだろうか。いや待て、ヤルヴィさんか?! 熱でもあって指揮棒を落としたのか……。そもそも急病人が出てマーラーの9番はやれるのだろうか。病人にとってはあまりにも苛酷な曲だし、最悪の場合は中止もありだな」
といろいろ考えているうちに15分経過。

結局、休憩をあわせると40分近くが経過してしまったのでしょうか。
「お待たせいたしました」
ということで後半のプログラム開始です。マーラー:交響曲第9番

かなりはっきりした音で重厚な出だし。
がっちりした9番というのはわたしはあまり聴いたことがないので期待が一気にふくらみました。
テンポはゆったりめで、厚めの音がさらに効果的に響きます。
この時は、具合が悪いのはヤルヴィさんだと勝手に決めていたので、指揮ぶりをひたすら見ていましたが、長い手を存分に使い、指揮をしているというよりも前衛ダンスを踊っているような流麗な姿で、オーケストラの音をめいっぱい引き出しています。
元気そうです。

でも、何かが変。管、弦、打の音のバランスがどうもおかしい。

具体的に何が変であるかということは、随所でだいたいの想像はつきましたが、第1楽章の376小節から390小節のフルートとホルンのソロが掛け合うエピソードの部分ではっきりしました。

第1ホルンです! 音をはずしているというよりずーっと音がずれていて、掛け合いは完全に破綻。
ここでわたしは思いました。急病なのは第1ホルンだと。

その後も、およそプロらしからぬはずしっぷり、音のコントロールが全くできていない演奏で痛々しさを感じるほどでした。
ホルンの不安定さに木管(特にフルート)が影響を受けて怪しくなってしまいました。
トランペット、トロンボーンは影響を受けまいと必死に吹いていてやたら音が大きい。
弦は「わたしたちが頑張るわっ」と言わんばかりにがんがん鳴らし、ある意味ひじょうに感動的です。
他の楽器も然りで、ひたすら精一杯鳴らしているのですが、気持がうわずっていることは否めようもなく、勢いあまって音が雪崩をおこしそうな部分も多々ありました。

バランスがおかしいのはこのせいだったのですね。

この演奏が名門のオーケストラの演奏として成り立っているのかどうかは非常に悩ましいところで、あとはこの演奏をどのようなスタンスで聴くかということです。

第2、第3楽章は気合でGO! という感じでした。

特に第3楽章のはじけっぷりは現世と別れを告げる前のお祭り騒ぎのようでひたすら熱い演奏がくりひろげられ大満足。

第4楽章は、はじめから切迫感のあるはりつめた緊張感に満ちた出だしで、盛り上がり方もなかなかなもの。
思わず涙腺がゆるみました。
今日の演奏の中では一番安定していました。

でも、たったひとりの体調不良のために、オーケストラ全体が大きな影響を受けてしまうのには改めて驚くとともに妙に感心しました。

9時半近くに演奏会は終了。
ヤルヴィさんが指揮棒を落としたのは、最初から第1ホルンが予想以上に調子悪くて、これから起きるかもしれないハプニングに対する不安のためだったのかもしれません……。

と、いろいろなことはありましたが、全体としては推進力のある強靭な演奏を満喫することができました。満足です。

(なお、夫はPAL方式ではありますが、ヤルヴィ指揮のマーラーの交響曲第3番のDVDを入手できたことも喜んでおります。)

〈追記〉6月7日

フランクフルト放送交響楽団公式ブログによると、
演奏開始が遅れた原因である急病人はヴィオラのトップだったようです。
鼻血が出て止まらなくなってしまったとか。
そこで、急遽代わりの人がトップに座り事なきをえた模様。
ソロも多いパートを急に弾くことになったにもかかわらず素晴らしい演奏で、まさかヴィオラに異変が起きているなどとは思いませんでした。
ということは、第1ホルンは(くどくてすみません…でも、すごく気になったのです)ただの風邪で調子が悪かったということなのでしょうか……。

〈追記の追記〉6月9日

ホルン完全復活!
6月7日よこはまみなとみらいホールで行なわれた演奏会では、アンコールの最後に、その場にいた人たちにとっては何かとってつけたような印象を与えかねないアルフレド・ディーヴィツ作曲の『フィデーレ・グリュンケ』という超絶技巧を要するホルン四重奏を披露するほどの復活を遂げたようです。
名古屋での不本意なできを完全に払拭ですね。
よかった!! 
詳しくは「フランクフルト放送交響楽団、ホルン奏者のその後」を読んでね。


パーヴォ・ヤルヴィ指揮
フランクフルト放送交響楽団

プログラム
R.シュトラウス:「最後の4つの歌」(ソプラノ:森麻季)
マーラー:交響曲第9番

愛知県芸術劇場コンサートホール


体調にやや不安があって、なかなか行けなかったのですが、ほぼ半年ぶりにコンサートに出かけてまいりました。

半年前に行ったコンサートは、12月18日にザ・コンサートホールで行なわれた親愛なる中野振一郎さんのチェンバロリサイタル「ゴルトベルク変奏曲」全曲演奏会でした。

寒くて寝ている間に風邪をひいたのか体調いまいちだったのですが、軽い風邪の場合は演奏会に臨めば免疫力一気にアップで治ることも多く、今日も帰るころには体調回復。
でも、いろいろな意味で非常に気力&体力を使い消耗した演奏会ではありました。

波乱ぶくみの幕開けでした。

まず、最初のR.シュトラウス:「4つの最後の歌」
始めからなんと言うか非常に不安定な感じで、大丈夫かと思っていたら2曲目でヤルヴィが指揮棒を飛ばし、森麻季さんが拾って手渡すというハプニングが。
でも、それはほんの序の口でした。

続きはまた。乞う、ご期待
 
ということで、レヴューはまたにします。


しかし、風邪などでめげていてはいけない。

なぜなら、1年前の今日といえば、突然の大量下血で救急車で病院に搬送された日で、ここから怒涛の日々が始まったわけです。
だから、とりあえず元気で演奏会に行けたことがもの凄く嬉しい。
わけわかりませんが、あらゆるものやことに感謝したい気持です。
ありがと〜

去年の6月から9月にかけての散々な日々(下血、緊急入院、カプセル内視鏡が使えなくなったことによるしんどい検査、ダブルバルーン小腸造影、大量下血型との宣告、レミケードへの道)のことは拙訳書『クローン病−−増えつづける現代の難病』のあとがきに、かなりくわしく書かせていただいていますので、もしも興味がおありでしたらぜひご一読ください。

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