病院での恐怖の出来事。
第2弾です。
前回は「敗血症と地震」でしたが、今回は「敗血症と布教」です。
前回のできごとから半月ほど経ったころのこと。
と、始める前に断っておかないといけないことがあります。
わたしは入院するときにいつも聖書を持っていくんですね。
別にクリスチャンではないのです(実家の宗教は神道です)が、ゆえあって持っているのです。
ゆえっていうのは、16歳のころクローン病を発症したわけですが、診断がつくまで2年もかかったので、その間は、自分がどうなっているのかという不安とともに、いっこうに病名がつかないことに対する苛立ちやもろもろがあって、すごく荒れていたわけです。
そのときに診ていただいていた先生が敬虔なクリスチャンで、「心が荒ぶるときは聖書を読んでみたらどうですか? 特にコリント人の手紙を」とおっしゃって、そのときは、もう、心が安らかになることであれば何でもしましょうという気持だったので、早速、聖書を購入。
それ以来、ずっと愛読しているのです。
いつか正式にカトリックの洗礼を受けたいと考えています。
で、入院しているときは枕の横に聖書をおいているわけですが、看護師さんも何もおっしゃらないし、同室になった人も見て見ぬふりをするので、別にどうということもなく、そのときも普通に枕の横に置いておいたのです。
二人部屋だったのですが、空いていたベッドに新しい隣人が入院してきました。
どうも、検査入院の様子です。
付き添いの人と
「なんとか兄弟がああだこうだ。なんとか姉妹が……」
と話しています。聞くつもりはなくても聞こえてくる。おまけにその時わたしは2回目の小腸造影で再び敗血症になり、寝たきり状態でした。
「知り合いに兄弟が多い人が多いんだな」
と、思いつつもそれ以上は特に深く考えることはありませんでした。やがて付き添いの人は帰っていき隣人は
「うるさくしてごめんなさいね〜」
と、言いながらしきりのカーテンを開けたんですね。そして
「あら〜」
と嬉しそうな声をあげます。
「あなたっ、聖書を読んでいらっしゃるの? まあ、なんて素晴らしい!!」
って、ここで嫌な予感を感じればいいのに、40度近い熱で朦朧としているので、
「愛読書なんです」
って言ってしまったものだから……
何となく想像はつくと思うのですが、その人は、キリスト教をベースとしている、とある新興宗教の熱心な信者だったのです
ひたすら布教ならびに勧誘が始まりました。
頭ガンガン、汗たらたら。
いさかいを好まない私は、なるべく穏便に断ろうとするから余計いけない。
「うるさい!」
と言えばいいのに、
「わたしって何度も輸血してますから。輸血ですよ、腸から血がど〜っと出て、死にそうになるので輸血するんですよ〜、たぶん今後もすると思いますよ。わたしの体の中には他人の血が流れているんですよ」
と、そこの宗教では輸血を禁止しているので、そう言えば引き下がるのかと思ったけど甘かった。
ナースステーションに行って助けを求めたのですが、目の前で布教をしているところを見なければ注意できないと言うんですよ。現行犯しかダメらしい。。。
3泊4日で隣人は退院していきました。
付き添いの人も加わって、そこの宗教の教義をいろいろ説明するわけですが、これまた、律儀なわたしは持論の宗教観を展開。疲れました。
「わたしのほうが絶対理路整然としているぞ、論破したぞ、勝った!」とか思っていたのですが、懲りない隣人は退院する時にその宗教のパンフレットを置いていったのは言うまでもありません。
姉妹、兄弟というのは、そこの宗教では「〜さん」にあたる敬称のようなものみたいでした。付き添いの人のことも「○○姉妹」と呼んでいましたもの。これは、勉強になりましたね。人類は皆兄弟ということですね。
敗血症の人に布教するのは止めてくださいねぇ。パワー落ちてますから。
第2弾です。
前回は「敗血症と地震」でしたが、今回は「敗血症と布教」です。
前回のできごとから半月ほど経ったころのこと。
と、始める前に断っておかないといけないことがあります。
わたしは入院するときにいつも聖書を持っていくんですね。
別にクリスチャンではないのです(実家の宗教は神道です)が、ゆえあって持っているのです。
ゆえっていうのは、16歳のころクローン病を発症したわけですが、診断がつくまで2年もかかったので、その間は、自分がどうなっているのかという不安とともに、いっこうに病名がつかないことに対する苛立ちやもろもろがあって、すごく荒れていたわけです。
そのときに診ていただいていた先生が敬虔なクリスチャンで、「心が荒ぶるときは聖書を読んでみたらどうですか? 特にコリント人の手紙を」とおっしゃって、そのときは、もう、心が安らかになることであれば何でもしましょうという気持だったので、早速、聖書を購入。
それ以来、ずっと愛読しているのです。
いつか正式にカトリックの洗礼を受けたいと考えています。
で、入院しているときは枕の横に聖書をおいているわけですが、看護師さんも何もおっしゃらないし、同室になった人も見て見ぬふりをするので、別にどうということもなく、そのときも普通に枕の横に置いておいたのです。
二人部屋だったのですが、空いていたベッドに新しい隣人が入院してきました。
どうも、検査入院の様子です。
付き添いの人と
「なんとか兄弟がああだこうだ。なんとか姉妹が……」
と話しています。聞くつもりはなくても聞こえてくる。おまけにその時わたしは2回目の小腸造影で再び敗血症になり、寝たきり状態でした。
「知り合いに兄弟が多い人が多いんだな」
と、思いつつもそれ以上は特に深く考えることはありませんでした。やがて付き添いの人は帰っていき隣人は
「うるさくしてごめんなさいね〜」
と、言いながらしきりのカーテンを開けたんですね。そして
「あら〜」
と嬉しそうな声をあげます。
「あなたっ、聖書を読んでいらっしゃるの? まあ、なんて素晴らしい!!」
って、ここで嫌な予感を感じればいいのに、40度近い熱で朦朧としているので、
「愛読書なんです」
って言ってしまったものだから……
何となく想像はつくと思うのですが、その人は、キリスト教をベースとしている、とある新興宗教の熱心な信者だったのです
ひたすら布教ならびに勧誘が始まりました。
頭ガンガン、汗たらたら。
いさかいを好まない私は、なるべく穏便に断ろうとするから余計いけない。
「うるさい!」
と言えばいいのに、
「わたしって何度も輸血してますから。輸血ですよ、腸から血がど〜っと出て、死にそうになるので輸血するんですよ〜、たぶん今後もすると思いますよ。わたしの体の中には他人の血が流れているんですよ」
と、そこの宗教では輸血を禁止しているので、そう言えば引き下がるのかと思ったけど甘かった。
ナースステーションに行って助けを求めたのですが、目の前で布教をしているところを見なければ注意できないと言うんですよ。現行犯しかダメらしい。。。
3泊4日で隣人は退院していきました。
付き添いの人も加わって、そこの宗教の教義をいろいろ説明するわけですが、これまた、律儀なわたしは持論の宗教観を展開。疲れました。
「わたしのほうが絶対理路整然としているぞ、論破したぞ、勝った!」とか思っていたのですが、懲りない隣人は退院する時にその宗教のパンフレットを置いていったのは言うまでもありません。
姉妹、兄弟というのは、そこの宗教では「〜さん」にあたる敬称のようなものみたいでした。付き添いの人のことも「○○姉妹」と呼んでいましたもの。これは、勉強になりましたね。人類は皆兄弟ということですね。
敗血症の人に布教するのは止めてくださいねぇ。パワー落ちてますから。